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危険なクマ

クマ事件簿~人食い熊による事件を紹介します

投稿日:

地球には私たち人間以外にも多くの生物たちがいます。

時には、動物たちによって人間の命が奪われる事件も起こります

中でも、クマによる事件が起きていたのは記憶にも新しいのではないでしょうか?

今回は、クマによって起きた事件をいくつかご紹介させていただきます。

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三毛別羆事件

ヒグマ

出典:wikipedia

1915年12月9日~12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現在:苫前町古丹別三渓)六線沢で発生した、日本史上最大の獣害事件です。

ヒグマの襲撃によって、7名が死亡、3名が重傷を負いました。

 

三毛別羆事件についてはこちらの記事をご参考ください。

三毛別羆事件をわかりやすくご紹介します

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石狩沼田幌新事件

1923年8月21~24日に、北海道雨竜郡沼田町の幌新地区で発生した、ヒグマによる事件です。

最終的に5名が死亡、3名が重傷を負い、国内で2番目に大きな被害が出た獣害事件です。

 

1923年8月21日、北海道沼田町恵比島地区で祭りが開かれていて、近隣からも多くの人が集まっていたそうです。

23時過ぎ、祭りから帰る青年達の一団が夜道を歩いていました。

その中の一人、林謙三郎(19歳)は尿意を催したため一団から50mほど遅れていました。

そこへ、ヒグマが現れ突然謙三郎に襲い掛かりました。

謙三郎は命からがら逃げだすことに成功し、前を行く皆にヒグマの出現を伝えます。

しかし、ヒグマは先回りして一団の前に現れ、村田幸次郎(15歳)を一撃のもと撲殺します。

その直後、ヒグマは幸次郎の兄である由郎(18歳)にも重傷を負わせ、由郎を土中に埋め始めました。

そして、まだ息のある由郎の近くで、撲殺した幸次郎の内臓を食べ始めます…。

 

パニックに陥った一団は逃げ惑い、300mほど離れた農家に逃げ込みます。

火を焚き、屋根裏や押し入れに隠れて、ヒグマの襲撃に備える一団の前に再びヒグマが現れます。

ヒグマは、玄関を押し破り屋内に入ってきて、追い払おうとした村田兄弟の父・三太郎(54歳)に重傷を負わせます。

そして、恐れることもなく火を踏み消し、部屋の隅で怯えていた三太郎の妻・ウメ(56歳)を連れ去ってしまいます。

ウメが連れ去られる際、助けを求めるウメの叫びが響いたのち、ウメ自身が唱えた念仏がかすかに聞こえ、夜の闇の中へと次第に消えていったそうです…。

 

8月22日、一団が屋内に閉じこもっているところ、何も知らない村人が通りかかり、一団は大声で助けを求めます。

周囲にヒグマがいないことを確認した後、ウメの捜索をはじめたところ、近くの藪の中で下半身をすべて食べられた状態のウメの遺体が見つかります。

さらに、土中に埋められた由郎も発見し、由郎はまだ生きていたため沼田町の病院へと運ばれますが、病院で死亡します。

そして、事件は沼田町内に知れ渡ります。

 

8月23日、事件を聞いたマタギ(猟師)が3名、ヒグマを倒すために駆け付けます。

そのマタギの中の1人である、長江政太郎(56歳)は、その話を聞くと、

「そのような悪い危険なヒグマは、必ず自分が仕留めなくては」

と激怒し、周囲の制止も無視して、一人山へ入っていった。

そして、数発の銃声を残したのち行方不明となってしまいました…。

 

8月24日、ヒグマ退治のため、在郷軍人や青年団、消防団をはじめとした周囲の男たちが300人ほど集まります。

討伐隊が山に入ったところ、これを予期していたかのようにヒグマが集団の後方に現れ、最後尾にいた上野由松(57歳)に襲い掛かり撲殺しました。

さらに、近くにいた折笠徳治にも重傷を負わせ、唸り声をあげながら他の隊員にも襲い掛かろうとしてきました。

パニックに陥る討伐隊でしたが、一人の除隊間もない元軍人がひるまずヒグマに弾丸を打ち込みます。

そして、軍人の射撃を合図にしたように、皆で一斉射撃を浴びせヒグマはついに退治されました。

 

その後、ヒグマが現れたすぐ近くで、頭部以外を食い尽くされた長江政太郎の遺体が発見されたそうです。

 

この事件で、ヒグマが襲い掛かってきた理由は、祭り帰りの一団が通ったすぐそばに馬の死体があり、「この馬の死体(ヒグマの餌)を奪いに来た」とみなしたのではないか言われています。

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福岡大学ワンダーフォーゲル部・ヒグマ襲撃事件

1970年7月、北海道日高山脈で起きた事件です。

登山中の福岡大学ワンダーフォーゲル部がヒグマに襲われ、3名が死亡しました。

 

7月25日、福岡大学ワンダーフォーゲル部の5人が、北海道のカムイエクウチカウシ山北側にある九の沢カールにてテントを設営していました。

すると、1匹のヒグマが現れます。

5人は怖がることもなくヒグマを見ていましたが、リュックの食糧をあさり始めたため追い払います。

その夜、5人が眠っていると、再びヒグマが現れテントに15cm大の穴を開けられます。

身の危険を感じた5人は、2時間交代で見張りを立て、その夜を過ごします。

ヒグマ

26日の早朝、ヒグマが現れてテントを倒してしまいます。

リーダーであるAさんの指示で、BさんとCさんが救助要請のため山を下り始めました。

BさんとCさんが山を下りる途中、北海学園大学のグループと鳥取大学のグループに会ったので救助要請を頼み、食糧や地図を持って3人を助けるため戻ります。

BさんとCさんが合流した後、場所を変え5人は再びテントを張り食事をします。

しかし、再びヒグマが現れ、一時間ほどテントの周りに居座り始めたそうです。

このままでは危険だと判断した5人は、先ほど出会った鳥取大学のテントに逃げ込もうと山を下り始めます。

山を下り始めてしばらくした頃、すぐ後ろにヒグマが来ているのに気付いた彼らは駆け出しました。

ヒグマはCさんに襲い掛かり、Cさんはケガをした足を引きずったまま、鳥取大のテントのほうへと一人下りて行ったそうです。

また、この時Dさんも皆とはぐれてしまい、一人テントへと戻ります。

 

7月27日早朝、霧が出て視界が悪い中、3人ははぐれたCさんとDさんを捜します。

しかし、発見できず下山し始めたところ、再度ヒグマが現れAさんを襲います。

逃げ出したBさんとEさんは、午後一時にダム工事現場までたどり着き、午後6時に中札内駐在所で保護されました。

 

7月28日、はぐれた3人の救助隊が結成され山へ入りましたが、救助隊が発見したものは、変わり果てたA、Cさんの遺体でした。

 

7月29日午後4時半頃、3人を襲ったヒグマは、ハンター10人の一斉射撃によって射殺されました。

 

7月30日、Dさんの遺体が見つかります。

Dさんは皆とはぐれた後、テントに戻り、一人でいるところをヒグマに襲われ死亡したようです。

 

ちなみに、このヒグマは3人の遺体を食べてはいなかったそうです。

おそらく、最初の遭遇時にヒグマがあさった荷物を取り返したのが、襲撃の原因となったのではないかと言われています。

ヒグマは、非常に執着心が強い動物なので、一度ヒグマの物になった物を取り返すと、敵と認定されてしまいます。

彼ら5人は九州から来ており、ヒグマに詳しくなかったのも、このような惨劇を生んだ原因の一つかもしれません。

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秋田八幡平クマ牧場ヒグマ事件

2012年4月20日、秋田県鹿角市にあった「秋田八幡平クマ牧場」にて起こった事件です。

クマ

2012年4月20日8時ごろ、冬季休業中の園内に悲鳴が響き渡り、従業員の男性Aさん(69歳)が駆け付けると、女性従業員のBさん(75歳)が、運動場から逃げ出したヒグマに襲われていました。

現場には、もう一人、女性従業員のCさん(69歳)も倒れており、Aさんが呼びかけたが反応はなかったそうです。

 

警察が到着後、地元の猟友会を呼び、正午ごろ射殺命令が下されました。

結果、猟友会の猟師が4時間ほどかけて、ヒグマ6頭を射殺し事件は終わりました。

 

襲われたBさんとCさん2名が死亡し、国内のクマ牧場での獣害事件では最大となりました。

ヒグマは、地下に掘られた運動場におり、高さ4.5メートルのコンクリートで囲まれていましたが、雪が積もっていたせいで逃げ出すことが可能となったようです。

射殺されたヒグマの胃の中からは、握り拳程度のくすんだ赤色の肉片、毛髪、捲れた皮膚、胃液で黄色に変色したタイツなどが出てきたそうです。

 

この事件は、牧場のずさんな管理体制も問題視され、掃除担当の従業員と経営者が業務上過失致死罪で略式起訴され、それぞれに罰金50万円の略式命令が下りました。

秋田八幡平クマ牧場は2012年6月に閉鎖されました。

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星野道夫氏ヒグマ襲撃事件

1996年8月8日、ロシアのクリル湖畔で写真家の星野道夫氏がヒグマに襲われ死亡した事件です。

星野氏は、アラスカでグリズリーやカリブーなどの野生の動植物の写真を、幾度となく撮影してきた、その道のプロフェッショナルでした。

 

1996年7月25日、星野氏はテレビ番組「どうぶつ奇想天外!」の撮影のため、番組スタッフ3名とロシア人ガイド2名とともに、ロシアのカムチャッカ半島南部のクリル湖畔を訪れました。

付近には、安全性の高い小屋や宿泊施設がありましたが、星野氏は一人湖畔にテントを張り寝泊りすることにしました。

 

7月27日、小屋の食糧庫にヒグマがよじ登っているのを、星野氏と同じくテントを張っていたアメリカ人写真家が見つけます。

ヒグマは体長2 m超、体重250kgはある巨大な雄クマでした。

すぐにガイドが来て、クマ除けスプレーを使いヒグマを追い払いました。

この件があり、ガイドは星野氏に小屋で寝るように説得しますが、星野氏はテント泊を続けることを選びます。

 

8月6日、星野氏のテント近くに、またヒグマが現れたのでガイドが追い払います。

ガイドは再度、星野氏に小屋に入るよう忠告しますが、星野氏は聞き入れませんでした。

 

そして迎えた8月8日、ついに事件は起こります。

午前4時頃、星野氏の悲鳴とヒグマの唸り声が周囲に響き渡り、小屋にいたスタッフは急いで外を確認します。

スタッフが見たものは、食糧庫を荒らそうとしていたヒグマが星野氏を咥えている姿でした。

すぐに、ガイドが大きな声を上げシャベルを叩きつけ救援しようとしましたが、ヒグマはそのまま森へ消えていきました…。

 

その後ヒグマは、ガイドの要請で駆け付けた捜索隊がヘリコプターで上空から探したところ発見し、射殺。

星野氏の遺体は、森の中でヒグマに食べ散らかされ無残な姿で見つかったそうです。

 

なぜ、星野氏は危険なテント泊を選んだのか?

星野氏が、テント泊を選んだのは、「この時期がサケが豊富に獲れるため、ヒグマは人を襲わない」という考えだったそうです。

しかし、この年はサケの遡上が遅れており、食糧が不足気味であったことが後に分かります。

 

また、星野氏を襲ったヒグマは、地元のテレビ局の社長が餌付けしていた個体であり、人間への警戒心も弱かったのではないかと言われています。

 

ちなみに、現地は環境保護のため、銃器の携帯は禁止だったそうです。

 

また、今回紹介した事柄はTBSが作成した「遭難報告書」による事件の経緯によるものですが、ガイドやアメリカ人写真家の証言と報告書との間には矛盾もあったようです。

本当に星野氏がテントを選んだのか?事件を予見することはできなかったのか?

さまざまな疑問はありましたが、星野氏が亡くなっているため真相はわかりません…。

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ペトロパブロフスク羆事件

2011年8月13日、シベリア東部のペトロパブロフスクという都市の近隣の川辺で発生したヒグマによる襲撃事件です。

ロシア人親子のイゴール・チガネンコフさんと娘のオルガ・モスカヨワ(19歳)さん2名が死亡。

これは、娘のオルガさんがヒグマに食べられている最中に、母親へ電話をかけ実況することとなった衝撃的な話です。

オルガさんは、最後の時を迎えるまで電話を切らず、母親と会話していたそうです…。

 

2011年8月13日、父親のイゴール・チガネンコフさんと娘のオルガ・モスカヨワ(19歳)さんはキャンプ旅行に来ていました。

河原でイゴールさんが休んでいると、突然大きなヒグマが襲い掛かってきました。

イゴールさんは、ヒグマに首の骨を折られた後、頭骨も割られ即死。

それを見たオルガさんは、逃げ出しますがすぐにヒグマに捕まってしまいます。

そして、ヒグマはオルガさんを下半身から生きたまま食べ始めたのです…。

ヒグマ

オルガさんは、自らの体を食べられながら母親に電話をします。

「助けてママ!熊が私を食べてるの!」

電話を受けた母親は最初冗談かと思いますが、獣の息遣いと声が聞こえ、混乱しながらも父親のイゴールさんに電話をします。

しかし、この時イゴールさんはヒグマの襲撃によりすでに絶命していました…。

 

イゴールさんが電話に出ないため、母親はすぐにキャンプ地近くの警察に連絡します。

 

その後、オルガさんから母親に二度目の電話がありました。

「ママ…3頭のコグマを連れてクマが戻ってきた…皆で私を食べているの…」

母親は、再度警察に救援を急ぐように要求、イゴールさんの親族にも連絡します。

 

その数分後、三度目の電話があります

「もう痛みがなくなった…今までごめんなさい、ママ愛してるわ…」

これが、オルガさんの最後の言葉となりました。

 

オルガさんの最後の連絡から約30分後、警察関係者とイゴールさんの兄弟が現地に到着します。

彼等が見た光景は…イゴールさんを食べているヒグマの親子と、無残な姿で死亡していたオルガさんでした。

 

その後、イゴールさんとオルガさんを食べた、母ヒグマと子ヒグマ3頭は地元のハンター6人によって射殺されました。

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秋田県熊事件

2016年5~6月にかけて、秋田県鹿角市十和田大湯で発生した事件です。

ツキノワグマに襲われ、4人が死亡2人が重傷を負いました。

 

2016年5月20日、秋田県鹿角市十和田大湯字熊取平の竹藪で、タケノコを採りに来ていた男性(79)が行方不明となります。

 

5月21日午前7時頃、行方不明だった男性は遺体となって発見されました。

また同日、60代の女性がタケノコ採りをしていたら、ツキノワグマに襲われケガをしました。

 

5月22日午前7時30分頃、男性の遺体が見つかった場所から800メートルほど離れた場所で、秋田市在中の男性(78)がタケノコ採りをしていたところをクマに襲われ死亡しました。

 

5月26日、田代平で男性(58歳)がクマに襲撃されましたが、この男性は無事でした。

5月29日午前8時50分頃、十和田大湯字田代平でタケノコ採りをしていた女性(78)が熊に襲われ、全治1週間のケガを負います。

 

5月30日、タケノコ採りのため田代平を訪れ行方不明になっていた男性(65)の遺体が発見されます。

男性の遺体は熊に食べられた跡があったそうです。

 

6月10日、6月7日から行方不明だった女性(74)の遺体が見つかりました。

この遺体も、動物に食べられた跡がありました。

その日の午後2時頃、この女性の遺体発見現場のすぐ近くで、猟友会によって体長1.3メートルの雌のツキノワグマ1頭が射殺されました。

そして、この熊の胃から人体の一部が見つかりました。

 

しかし、この雌クマの胃から見つかった肉片が少ないことや、5月26日に襲われた男性が見たクマと特徴が違うため、人を襲ったクマは他にも複数いるのではないかと言われています。

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まとめ

いかがでしたでしょうか?

2016年に起きた事件は、まだ記憶に新しいかと思います。

クマに出会う機会なんて、なかなかあることでは無いでしょうが、このような事件が起きたことは知っておきたいですね。

 

クマはクマの、人は人の生活域があります。

それらの交わるポイントに住んでいる方、出かける方は、最低限の知識や対処法を知っておくことが大切ですね。

 

関連記事としてはこちらをご参考下さい。

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ツキノワグマの生態や対策、出会ったときの対処法について

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